1995.2.19 福知山線 三田~道場 Canon AE-1P TAMRON SP70-210mm F3.5 RDPⅡ今日は休みで天気も良さそうですが、これから家庭運用てんこ盛りで撮影には行けません。
まあ、先日終日撮影出来たので鉄分はまだ補給せずに済みそうですが(笑)
27年前の年明け早々、阪神・淡路大震災が発生しました。
この時は就職の内定も決まり、大学の卒業を待つばかりでした。
そんな時にあの地震が起こり、新長田駅前にあった内定先の企業の本社が被災・・。
燃え盛る新長田駅前の映像がテレビに写るたびに、内定取り消しがアタマの中を過ぎりました。
幸い自宅は、門柱や壁に少々ヒビが入った程度で大きな被害もなく、ライフラインも問題ありませんでした。
そんななか、テレビで刻々と報道される被害状況や、内定先企業からの連絡が無い状況に悶々とする日々・・。
そこで、震災から1ヶ月経ち状況も少し落ち着いてきたので、気分転換に近場へ撮影に行くことにしました。
その頃、東海道本線が寸断されていたため福知山線は迂回経路となり、各地から多くの車両が応援に駆けつけていました。
現在ならネットでリアルタイムで状況が分かりますが、当時はテレビや新聞でしか迂回運転の情報を得る事が出来ませんでした。
当然趣味的な「形式」などの情報は報道されないので、実際に行かないと何が来るか分かりません。
原付で15分ほど走って現地に到着し撮影していると、程なくして後から赤帯の113系が新三田行きでやって来ました。
今回紹介するのは、新三田で折り返して来たその赤帯の113系です。
当時は関西本線で運用されていた「春日色」と呼ばれていた赤帯の113系。
当然福知山線で撮影したのは初めてでした。
この後は通常4・6連の183系「北近畿」が向日町の485系中間車2両を増結した8両でやって来ましたが、これら以外は通常見られる福知山の113系や117系、黄色の103系ばかり。
世間が大変ななか撮影している後ろめたさもあって、早々に撤収する事にしました。
この後も度々ここへ撮影に来ましたが、大阪環状線のオレンジの103系や緩行線のブルーの103系、広島のクリーム色の103系などを撮る事が出来ました。
当時は後ろめたさを感じながら撮影していましたが、今となっては貴重な記録を残せたと思います。
余談ですが、被災した内定先企業は幸運にも延焼は免れ、無事に4月に入社する事が出来ました。
入社後に知ったのですが、やはり今年度の内定を取り消すことも検討されたそうです。
そして無事に入社したあとの初仕事は、延焼は免れたものの中が壊滅的に散らかった本社ビルの掃除と整理でした(笑)

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